ニヴフ
ニヴフ人の伝統的な居住地域はロシア連邦ハバロフスク州のアムール川下流域から、サハリン州サハリン島北部にかけての地域である。ニヴフ人の人口はおよそ4500人、サハリン州内では最大の北方少数民族である。歴史的には周囲の諸民族と不断の交流を持ち、サハリン島においてはアイヌ、ウイルタ、エヴェンキなど、アムール地方においてはウリチ、ホジェンなどの影響が言語・文化面で見られる。19世紀半ばまでこの地域は清帝国の影響下にあったが、その後は日露両国の争奪戦の対象となった。
ニヴフ語は「極東古アジア諸語」のひとつとしてあげられることもある、同系言語が他にみあたらない言語である。アムール下流地域からサハリン島西海岸にかけて(アムール方言あるいは西方言)と、サハリン島東海岸および島内トゥミ川流域(サハリン方言あるいは東方言、サハリン東方言とも)では大きく方言が異なる。SOV語順・豊富な接尾辞などトゥングース諸語に似た部分があり、また逆に人称接尾辞が発達していないことからは日本語によく似ているとの印象を受けるかもしれない。語頭子音変化を伴う動詞複合体形成については抱合現象(アイヌ語・チュクチ語などにみられる)とみなすかどうかの論争がある。
サハリン島北部は帝政ロシア時代より流刑地・植民地となり、ロシア人の移住が進んだ。現在のニヴフ人は州の総人口約54万人の1%にも満たない少数民族になってしまった。石油や天然ガスなどの地下資源が豊富な地域であるため、ペレストロイカ以降は連邦レベルでの開発が進み、ロシア人による経済活動がさかんとなる反面、ニヴフ伝統文化はあまり重要視されなくなった。ニヴフ人が多数を占める集落はほとんどないためロシア化が進み、母語保持率もここ十数年で大きく下がったようである。サハリン島南部は第二次世界大戦終了まで日本領であり、終戦時には30〜40万人の人口を有していた。大多数を占めるいわゆる「ヤマト人」以外に2万人以上のコリアン人、また1千数百人のアイヌ人、2百数十人のウイルタ人、百数十人のニヴフ人を含めた北方少数民族も居住していた。戦後ヤマト人とともに「引き揚げ」たウイルタ人・ニヴフ人も多い。このときコリアン人は日韓両国の狭間で置き去りにされ、北朝鮮からの移住者も含め現在では3〜4万人が居住する。
(丹菊 逸治)